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  • 2019.09.25
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次世代に伝えたい 檜原在来ムラサキを栽培 ひのはらムラサキプロジェクト

ひのはらムラサキプロジェクト

東京の里山に現存する絶滅危惧種の在来ムラサキを次世代に継承しようと活動する「ひのはらムラサキプロジェクト」(松村直美代表)は6月17日、村内で栽培している「檜原在来ムラサキ」の植え替え作業を同村人里の高橋園芸で行い、プロジェクトメンバーやボランティアら12人が参加した。

かつて武蔵野の地に自生していたムラサキ(紫)はムラサキ科の多年草で、初夏から夏にかけて小さな白い花を咲かせる。万葉集にもその名が記されるほど歴史は古く、奈良時代から江戸時代末期まで栽培されてきた。青みがかった紫色の伝統色「江戸むらさき」は、江戸時代に武蔵野のムラサキを使って江戸で染めたことからその名がついたという。近年、スギやヒノキの下刈りで雑草とともに刈り取られ、山野から姿を消し、野生のものはほとんど見られなくなった。

暗紫色の根は生薬「シコン」(紫根)で、抗炎症作用や創傷治癒の促進作用、殺菌作用などがある。種の発芽率が低い上、ウイルスなどに弱いため株を増やすことが難しく、現在、漢方薬や染料として一般的に流通しているものは、主に中国産の外来種だという。

檜原村で野生のムラサキが発見されたのは1957(昭和32)年の夏。浅間尾根にある小沢共有地「松生山」で、林の下刈りをしていた植物愛好家のメンバーが偶然見つけ、栽培用に数本採取して持ち帰った。そのムラサキが地元の人たちの手によって大切に栽培され、今も受け継がれている。2014年には農業生物資源研究所に「檜原在来ムラサキ」としてジーンバンク登録された。

江戸時代から伝承され、都の無形民俗文化財にも指定されている同村小沢地区の郷土芸能「小沢式三番」の翁の衣装にはムラサキで染めた布が使われたとされ、当時この地でムラサキが栽培されていたことが分かる。

同プロジェクトは、在来ムラサキの価値を再認識し、貴重な文化資源として継承しようと、10年ほど前から種を引き継いでムラサキを栽培してきた市民活動団体「東京ひのはら地域協議会」の意思を継ぐ形で昨年発足した。草木染め染色工芸家の山崎和樹さんを講師に迎え、檜原在来ムラサキから採取した紫根を使った染めを体験するワークショップなどを開催している。

今年は活動の一環として、ムラサキの種から紫根の採取までのプロセスを1年間を通して体験してもらうプログラムを企画し、2月の種まきからスタート。この日は、近隣や遠くは鎌倉から染色愛好家など男女12人が参加して、根を大きくするためにポットから鉢に移植する作業を行った。

地域おこし活動に取り組む一般社団法人「湯久保宿」代表理事で、同プロジェクト事務局の丸山美子さんは「今年は発芽率もよく、4千の苗が育ちました。紫根の必要性に応じて大きな鉢に植え替え、前年度の実績でおよそ千鉢。また、花を楽しみたいという方々のため持ち運びやすい鉢にも植え替えます」と話す。

瑞穂町から参加した主婦の町田孝江さんは、趣味で織と染めの作品づくりを行っており、昨年11月の紫根染めワークショップに参加して興味を持ったという。「糸やストールなどを染めたりしています。染料店で買う紫根は中国産のものがほとんど。在来種のムラサキで染めるということに魅力を感じます」と話した。

今年から地元・檜原小学校でも3年生の学習としてムラサキの栽培を始めた。メンバーで高橋園芸を営む高橋亨さんとともに講師を務める丸山さんは、「昨年はいろいろな方とつながることができ、草木染の原料などとして活用してもらえるルートがはっきりしてきた」とし「檜原在来ムラサキの栽培が長く引き継がれていくような仕組みを創り育てていけたらと思っています」と話している。

夏場のムラサキ栽培は、根を大きく育てるための草取りや、土が乾かない程度の水やりを行い、10月には種を、11~12月にかけて紫根を採取する予定という。

●問い合わせ
丸山さんへメール(momohasu@yukubo.com)

西多摩新聞 2019年7月12日付 1面より 記事・写真提供:株式会社 西多摩新聞社

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